おはようございます!
本日は宇和島ターミナルホテルさんにて起床。
8/9(金)、今日は愛媛の札所を三箇所ほど攻略します。
それでは今日も元気に、おへんろ!
朝ごはん。単純に買い忘れたので差し入れの最後のういろうをいただきます。
7:14 出発
上のレストランのサンプルがノスタルジーを誘う。
宇和島~田園風景を抜けて
ハローワークはまだ行かなくてもいいから…
次のお寺まで2時間ほどなのでゆったり歩いていく
大型コインランドリー、赤い看板が目立つ
山中へ。
農材屋さん
ここの自販機で水を補給。
41番札所へ向かう山の途中、へんろ小屋発見。山の中のオアシスですねえ…
トイレは現在使えないとのこと。
久方ぶりのにH2Oを飲む。この水なんだかアクエリなんだかわからない味が最高ですね。
壊れているらしいお遍路さん用トイレ
ここで道を間違えて少し戻る。
田園風景が見えてくる。
この田圃の真ん中を突っ切る道、最高ですね。
この風景を見ながらおにぎり無限に食べたい。
moaning glory
そんなこんなで次のお寺の入り口が見えてきました。
この神社の鳥居が実はお寺の入り口。
龍光寺の一番の特徴は、神仏習合を象徴する四国霊場では珍しい鳥居の山門。
奥へと進んでいく。
9:38 お寺に到着。
第41番札所 龍光寺(りゅうこうじ)三間(みま)のおいなりさん
第41番札所 稲荷山(いなりざん) 龍光寺に到着。
宇和島市三間町は昔からの穀倉地帯であり、現代でも特別栽培米の「三間米」を栽培する良質なお米の産地です。
龍光寺は、その穀倉地帯の守り神として「三間のお稲荷さん」と呼ばれて親しまれてきました。
龍光寺の歴史
大同2年(807年)に弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消しました。
大師は、この老翁が五穀大明神の化身、稲荷大明神であるであろうと悟り、堂宇を建てて老人の姿を像に刻み安置します。
このとき、本地仏として十一面観世音菩薩、脇侍に不動明王と毘沙門天を彫刻し、「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺としました。
境内入り口を守るのは仁王像ではなく、一対の狛犬達。
手水舎
本堂
明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となり、現在の本堂は新たに建立されたものです。
本堂内は十一面観世音菩薩像が本尊として安置されていますが、その隣に神道の祭神「稲荷明神像」も一緒に鎮座しています。
大師堂
伊予七福神の像
上にある稲荷神社へ。
神仏習合時代、本堂だった稲荷神社。
拝殿
となりにもなにかありましたが何かはわかりませんでした。
稲荷神社といえばお狐様ですね。
稲荷神社からの眺め ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
ここから素晴らしい眺めが見えます。
いつかどこかで、見た景色。
お狐様もここから街を見守っています。
納経所にて納経。
10:09 こうして龍光寺をあとにする。
溜め池の前を通る。
次のお寺まで約一時間未満と次はかなり近い。これはありがたいですね。
次のお寺まで歩いてる途中、車に乗ったおばあさんからおせったいでソーダアイスいただきました!ありがとうございます!
一対の遊具がある公園。
ここは花街道といわれており、季節になると綺麗な花が迎えてくれるんだとか。
10:56 次のお寺に到着。
第42番札所 仏木寺(ぶつもくじ)茅葺き屋根と牛伝説のあるお寺
第42番札所 一王果山(いっかざん) 仏木寺に到着。
仏木寺の歴史
大同2年(807年)のころ、弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会いました。
誘われるまま牛の背に乗って進むと、唐から帰朝するときに有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠が楠の大樹の梢にかかっているのを見つけました。
大師は、ここが霊地であると悟り、大師は楠の木で大日如来像を刻み、眉間に宝珠を納めてこの地を霊場に定めたとのこと。
牛の背に乗った弘法大師の伝説から、仏木寺では四国霊場では珍しい動物安全祈願のお寺として知られています。
巨大な山門
立派な金剛力士像。
伊予七福神像
手水舎
鐘楼堂
元禄年間(1688年〜1704年)に建てられた四国霊場唯一の茅葺(かやぶき)の建物。
ここから本堂へ向かっていく
不動堂
聖徳太子堂
本堂
大師堂
大師堂は前堂と後堂があり前堂には白塗り着色の大師像が、後堂には県有形文化財の木肌の大師像が安置されています。
裏側には鳥居がありました。
残木堂
家畜堂
本尊の大日如来は牛馬の守り仏として信仰され、現在はペットの供養に訪れる人も多いとか。
境内の家畜堂には牛馬の置物やペットの写真が祀られており、旧暦の6月に人や牛馬の病気をキュウリに封じる「瓜封じ」が行われます。
これには徳川綱吉もニッコリ。
納経所にて納経してもらい次のお寺へ。
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難関 歯長峠、そしてトンネルラッシュ
11:30 次のお寺に向け出発。
次のお寺までは約4時間とそこそこ長い。
次は歯長峠を舗装路ルートで超えます。
どう気をつければいいんだ…
さて、峠越えということで山を登っていく。
おぉ…ポイ捨てはダメ、絶対。
みかんレールまた発見。この辺は愛媛らしくみかん栽培が盛んみたいですね。
山を降りてくと集落に入っていく。
人はいるんだろうけどまったく気配がしなくてやけに静か。
ここらへんにはみかんトロッコレールが沢山ありました。
13:10 集落を抜けて駅へ。
立間駅
駅内で少し休憩させていただきました。
お昼ご飯も用意してなかったのでとりあえず徳島駅で買ったビスケットを食べる。
少し回復して次のお寺目指して進んでいく。
ここからはトンネルタイム。
いざトンネルラッシュ!
トンネルを抜けたらまたトンネル。
このあと6回くらいトンネルくぐりました。
途中工事もしており通りにくいけど仕方ない。ほんとご苦労様です。
もう何回目かわからないトンネル。
そしてついにきました、凶悪トンネル。
さっきまでは短いトンネルのラッシュだったのですがここは長く、そして歩道も狭い。
うーん、車通り多い割に暗くて道も狭く怖い。ライトを照らしながら20分ほど進んでいく。
そうしてトンネルを抜け街中へ。
15:24 セブンへいき、ここでお昼を食べる。
豚ラーメン。なんか無性にたべたくなった。
たべ終えたあと宿のチェックイン時間になったので荷物を置きにチェックインしに行く。
今日の宿は第1ビジネスホテル松屋さん。
荷物を置き次の札所へ歩いていく。
ここの道を左へ。
途中、ヘビがひかれて死んでいた…
43番札所、ここも鳥居があります。
結構急な角度の坂を登っていく。
登り終えると施設があります。
16:41 こうして次のお寺に到着
第43番札所 明石寺(めいせきじ)あげいしさん
第43番札所 源光山(げんこうざん) 明石寺に到着。
地元の人から「あげいしさん」と呼ばれているのは、美しい女神が願をかけ深夜に大石を山の上まで運びあげていたという伝説に由来します。
本来の名称は「あげいしじ」で、現在でも「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいるご年配の方々もいるそうです。
明石寺の歴史
古墳時代後期である6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜571年)の勅願により、円手院正澄(正澄上人)が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るために創建したのが起源とされています。もしこの縁起が本当ならば、飛鳥寺を追い抜いて日本最古の寺ということになります。
天平6年(734年)、役行者小角から5代目にあたる寿元という行者が紀州熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場としました。
弘法大師が弘仁13年(822年)に訪れ、荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇に報告して勅命を受け、金紙金泥の「法華経」を納めて、諸堂を再興。
鎌倉時代初期の建久5年(1194年)、源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉納。経塚を築いて堂宇の修繕をし、山号の現光山を「源光山」に改めました。
以来、武士からの信仰が篤く、室町時代には領主・西園寺家の祈願所に、江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となりました。
山門
巨大わらじがありました。
手水舎
本堂
明治23年(1890年)頃建築、国登録有形文化財。
屋根は唐破風造りで、左右両端が反るように天を向き、柔らかい曲線を描いています。
本堂には綺麗な天井画があります。
大師堂
夫婦杉
この日は丁度お祭りだったらしく人が多い。
納経所
しあわせ観音 ★「アニメおへんろ。」めぐみ聖地ポイント
本堂裏手の山には西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」が鎮座しているとのことでしたが、お祭りで人が多くて場所がわからず泣く泣く戻ることに。
このあとスーパーへ行きご飯を買って、ホテルへもどる。
中国地方で有名な白バラコーヒーがあったので飲んでみる。コーヒー強め。
夕食はあまりお腹も減ってなかったのでミスド。
このあと漫画を描いて就寝。
今日の歩数
今日の納経
今日の漫画
■使用金額(納経代含まず)
宿5300円
昼食680円
飲料400円
夕食400円
明日の朝食など580円
★合計7360円
次のお寺はだいぶ離れてて愛媛最初の難所。とりあえず明日は大洲まで行って観光です。
それでは、明日も一歩一歩、歩きましょう。
明日もなんか、頑張れそうだ。
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